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それはまだ努力とは呼べない

25歳で大学1年生になった人の日常

生技の個人的ススメ

生産技術(設備開発)は奥が深い.

機械・電気のプロフェッショナルが頭を抱えながら生産設備の仕様を決め図面を書き,生産コスト低減に悩み,現場の状況(時には海外生産拠点の文化や気温)に悩み,ライン作業者の作業性を考慮し,わかりやすい設備取説を書き,開発設計と密にやり取りし,時にはネジを回してセンサを調整する.

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大学工学部の学部・院卒の学生が,行きたくない職場,やりたくない仕事,ってのが生技だろうと思う.
大体の学生はものづくりの上流と呼ばれる研究・開発・設計に行きたがる.

何故だろう?
「なんとなく」カッコイイからである(多分,当たっていると思う).
「なんとなく」頭良さそうだからである.

この「なんとなく」に自分の「かっこいい」はありますか.

誰かの「なんとなく」に合わせていませんか.

 

実際,筆者は圧倒的Fラン底辺高校卒(静岡県中のバカが集まる高校)から就職するときに,希望部署は設計だった.
イメージで,設計に行く人は「なんかカッコイイ」と思っていたから.
そして,工場で働くのはなんだかいかにも「作業者」って感じがして嫌だったから
そして,底辺高卒出身,非大卒の私には,それらの選択肢さえ与えられず,ただ肉体労働をするだけの動物園のパンダ職しか与えられないという現実も目の当たりにした.

動物園のパンダたちを、毎日大卒という上流階級の人たちが見物しながら、笑って去っていくのが日常だった.

そして,底辺高卒のままだと一生この環境から抜け出せないことや,そこに存在する偏見や差別も経験した.


話が逸れたのでもとに戻す.
サラリーマンになって色々勉強して(大学在学中から現在まで),高卒での仕事の動物園の動物係が社会人の始まりで、

そこからものづくりを支える生産技術者へ転身、そこでの業務をやりながら大学進学,卒業してからは設計をやり,いまいる研究(もどき)職,

 

全てを経験した中で気づいたことは,研究・開発・設計にいると,固有の専門技術のこと以外わからなくなる可能性があるってことだ.そして,どんどん現場と離れていっていることに何人が気づいているだろうか.製造業とは生産現場があってこそ成り立っているものであるのに,だ.しかも研究職と設計, 生技, 製造現場と分けられているが, 全くもって肩書きで割り振られるような内容でもないと感じる.
分野を突き詰めるのは,スペシャリストになりたいエンジニアの卵にとってはもってこいなのだが.

この不安定な経済状況を考えると,例えば入社以来固有技術Zで飯食って10年,ってプロフェッショナルなエンジニアAさんがいたとして,その固有技術Zを使った製品自体の事業をうちの会社は止めます.なくします.ってこともザラにあるわけ.

まさに筆者がいる今の環境(流行の機械学習や社会実装されない人工知能の理論うんたらなど).
言うなれば明日食う飯のためにやっているとはいえ,

そうすると,どうですか.
固有技術Z周辺の研究者・開発者・設計者は,どんな仕事をできるのでしょう.
Aさん,コストとか現場とかわかるでしょうか.
入社以来それしか知らないと,結局何もできないようになっちゃう危険性大だ.
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生産技術(設備開発)は奥が深い.

機械・電気のプロフェッショナルが頭を抱えながら生産設備の仕様を決め図面を書き,生産コスト低減に悩み,現場の状況(時には海外生産拠点の文化や気温)に悩み,ライン作業者の作業性を考慮し,わかりやすい設備取説を書き,開発設計と密にやり取りし,時にはネジを回して機械を組付ける.


要するに,エンジニアリング以外の業務が色々ある.
経営や管理の考え方が鍛えられる.
ものづくりプロセスの中間(開発設計⇒生産技術⇒量産(工場))にあるから,ものづくりの全体が把握できる.
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さあ,あなたは本当に研究・開発・設計がやりたいですか?

このことを考えながら,さまざまな職種についた大学時代の友人との会話,支えてくれる妻との会話を通じて,自分が本当になりたい姿を描きながら,次の10年をつくっていこうと思います.

ただし生技はずっと現場だしもう戻りたいわけではないが,今振り返ると「1番誰かのために頑張ってた」期間で人間らしかったかもしれない