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それはまだ努力とは呼べない

25歳で大学1年生になった人の日常

秘密基地

写真は自宅から1時間程度にある場所、通称「秘密基地」。大学同期の飯野くんが教えてくれた我々が勝手にキャンプ地にした場所である。ただの山なので勿論トイレ等はないため、十文字小夏さんはこの時不在となる。

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なかなかよい

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大好きな野菜たち

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誰もいない山
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焚き火

 

平日は会社員となりゆっくりする時間が限られるが、やはり野でご飯は良い。人間本来が持っている力で生きている感じがする。

木を集め、火を起こし、飯盒でご飯を炊き、夜は焚き火をしながら、星空を眺める。

現代は便利だ。スマートフォンで行き先を調べて行動を決め、ご飯は炊飯器があり、蛇口をひねればお湯も出る。便利すぎて人間本来の能力が落ちているのではないか、というナオキマンの一説はここにしっくりくる。コロナウイルスもそうなのではないか。ウイルスに対抗する手段がない時代、人類はどうやって生き延びてきたのだろうか?自然治癒力、即ち自己管理能力であったり本来持つべきはずの"強さ"を生きながら見つけていったのではないか。

歩く能力にフォーカスすると分かりやすい。昔は一日何千里と歩いて移動していたが、現在では新幹線や車といった乗り物が存在する。たしかに便利だが、昔の方に比べたらどちらが足腰強かっただろう?どちらが健康だっただろう?

全て便利が良いか、「不便だ」なんて思うのは本当に悪いことなのか、または何が便利で何が不便なのか、

みなさんはどう思いますか?