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それはまだ努力とは呼べない

25歳で大学1年生になった人の日常

学校の先生不要論

今考えると、授業受けさせられてたり、板書をノートに写させられてたのは時間の無駄だった
そもそも講義ってスタイルが非効率の極みだし、そもそも参考書があればそれの劣化コピーでしかない板書など、全くいらない。そして、自分がなりたい姿を知る人ではないのに、それらを「先生」と呼び、崇め奉らなければならない。
静岡県の教育の非効率さは異常だった。

ある程度以上の知能があれば、自分で勝手に勉強したほうが効率いいしやることも少ない。

 

これについては、唯一同級生で尊敬のある方とも意見が一致した。その方は筆者と似たような環境から自力で勉強していたそうだ。

生まれて初めて、同級生で尊敬できる人ができ、帰りの電車の中で涙が出そうになった。