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それはまだ努力とは呼べない

25歳で大学1年生になった人の日常

過去1の名言

「それは今後口を出すためのものなのか」

相手から受け取る野菜、果物、食べ物、プレゼント、祝い金、好意、アドバイス、助言。全てに痛烈かつ強烈な牽制であることは言うまでもない。助言もできなくなるって、すごい。

こんなことを言われたらもう誰も何も言えなくなる、ここまでを計算していたとするとやはり感服する。

勉強しなきゃ

偏見のメカニズム

1, ある人間に元カレと比較される

 比較元:大学院卒、大手企業

 比較先:高校卒、 零細企業

2, SNSの交換を拒否される

 理由:どうせもう会わない

3, 人生の重要な挨拶の後

 「人生はゲームなので、あなたたちはいつ別れてもいい。そんな時があってもいい」

4, 近しい者に対して

 何者かとの比較:無し

 情報交換の拒否:無し

 別れへの示唆 :無し

 

地元の底辺にいても、大学に行っても、大学院へ行っても、どこまでもどこまでも、偏見の目は続きます。すごいシステムだ。

この圧倒的な屈辱を打破できないステージにいる自身の幼稚さと、そのメカニズムを解明するために、今後も死ぬつもりで闘おうと思います。

学校の先生不要論

今考えると、授業受けさせられてたり、板書をノートに写させられてたのは時間の無駄だった
そもそも講義ってスタイルが非効率の極みだし、そもそも参考書があればそれの劣化コピーでしかない板書など、全くいらない。そして、自分がなりたい姿を知る人ではないのに、それらを「先生」と呼び、崇め奉らなければならない。
静岡県の教育の非効率さは異常だった。

ある程度以上の知能があれば、自分で勝手に勉強したほうが効率いいしやることも少ない。

 

これについては、唯一同級生で尊敬のある方とも意見が一致した。その方は筆者と似たような環境から自力で勉強していたそうだ。

生まれて初めて、同級生で尊敬できる人ができ、帰りの電車の中で涙が出そうになった。

故郷の教育事情

「本気で勉強した」と、初めて、ようやく言えるようになった今日このごろ、

改めて出身県の地元や周辺の高校、大学、教育実情のデータを調べると(静岡県 F などキーワードを入力すると)

・名前を書けば入れる学校しか存在しない

・県民の殆どがそれらのFランク大学へ行く

・その大学進学に親はカネを積んでくれる

・それを「優秀だ」と思っていること

・それが「大卒」なこと

・「地元では就職が強い」という不明ワード

 

また出身の県民民度に絶望してしまった。

カネを積んでもらって勉強しない4年間に、一旦何があるんですか?青春ですか?夏休みですか?やりがいですか?現実逃避ゲームですか?

 

皆さん私に教えてください。私はわかりません。自分で学費を払うしかない人間なので、周りに同じ方が誰もいません。

みなさんはどう思いますか?

田舎者と貧乏人を初めてみた人のブログ

https://anond.hatelabo.jp/20190328015628

 

これを見て思ったことは2点。それは、

・都会から田舎へ行った人の生活の苦しさ

・初めから田舎で生活していた人の苦しさ

この2点を語る上で「田舎のよさ」など、全く同じ土俵におらず、語ることなど到達できないということが分かる。

 

1.

都会から田舎へ行く人には、大体このケースが当てはまる。「田舎は厳しいから好き」「その風景がよい」「なんとも言えぬ雰囲気がいい」

 

これらに対して

 

2.

初めから田舎、特に限界集落で「強制的にその生活」を強いられていた筆者からすれば、物心ついた日から今に至るまで苦しみは続いている。

 

大人になり、選択の自由としてそこにいることは、つまりは選択の自由を得る過程を「誰かにもらっている」場面が多い。私もそうであるが、教育過程は違う。当たり前かもしれないが、例えば大学へ行かせてもらうなんてハッキリ言ってただの親ガチャである。親がカネを出してくれるから行けるのである。親が行っていいと許可するから行けるのでかる。(ただし、例外の方も存在する)

つまり、もし「ふつう」の家庭であるならば、青春時代は勉強する環境や通学の定期代など、知らずのうちに両親が勝手に払ってくれているお陰で、都会の人間は暮らしている、これが記事に書いてある事例である。

 

対して、「50年間で1%も変わらない田舎」の限界集落出身である身として、物心ついた時から農作業を強いられ、将来は農業か漁師か小さな工場で肉体労働するしかないと洗脳され、強制的に田舎で鎖に繋がれた青春時代を送った人間がいたとする。

 

前者の人間が後者の人間に対して、

「田舎好きなんで!」と言うのは、軽く考えているとか舐めているとか、そんな言葉以前に、ほんとに?と思ってしまう。

かくいう私も田舎は好きである。だけど、という言葉はもちろん続く。

皆さんはどう思いますか?

自分の人生

結局「誰も助けてくれない」と、私は10代のころ、もしくは小学生から気づくべきだと思います。

助けてくれないんですよ、家族も恋人も、上司も会社も。だって「あなたの人生の10年後、20年後、30年後の責任とります」と言ってくれますか? 絶対にとってくれないからねっていう。そうしたら「自分でなんとかするしかない」とまで考えがいくのがふつうだと思います。

結局、自分で勉強するしかないのです。

そんな中で、誰かと助け合える環境があるような映画や本には少し憧れます。

その選択の結果

要は、誰にも縛られたくない、うるさく言われたくないから、その選択をしているんでしょう

結局はステレオタイプ、環境の影響は無視できないんですね

みなさんはステレオタイプについてどう思いますか?