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それはまだ努力とは呼べない

25歳で大学1年生になった人の日常

田舎者と貧乏人を初めてみた人のブログ

https://anond.hatelabo.jp/20190328015628

 

これを見て思ったことは2点。それは、

・都会から田舎へ行った人の生活の苦しさ

・初めから田舎で生活していた人の苦しさ

この2点を語る上で「田舎のよさ」など、全く同じ土俵におらず、語ることなど到達できないということが分かる。

 

1.

都会から田舎へ行く人には、大体このケースが当てはまる。「田舎は厳しいから好き」「その風景がよい」「なんとも言えぬ雰囲気がいい」

 

これらに対して

 

2.

初めから田舎、特に限界集落で「強制的にその生活」を強いられていた筆者からすれば、物心ついた日から今に至るまで苦しみは続いている。

 

大人になり、選択の自由としてそこにいることは、つまりは選択の自由を得る過程を「誰かにもらっている」場面が多い。私もそうであるが、教育過程は違う。当たり前かもしれないが、例えば大学へ行かせてもらうなんてハッキリ言ってただの親ガチャである。親がカネを出してくれるから行けるのである。親が行っていいと許可するから行けるのでかる。(ただし、例外の方も存在する)

つまり、もし「ふつう」の家庭であるならば、青春時代は勉強する環境や通学の定期代など、知らずのうちに両親が勝手に払ってくれているお陰で、都会の人間は暮らしている、これが記事に書いてある事例である。

 

対して、「50年間で1%も変わらない田舎」の限界集落出身である身として、物心ついた時から農作業を強いられ、将来は農業か漁師か小さな工場で肉体労働するしかないと洗脳され、強制的に田舎で鎖に繋がれた青春時代を送った人間がいたとする。

 

前者の人間が後者の人間に対して、

「田舎好きなんで!」と言うのは、軽く考えているとか舐めているとか、そんな言葉以前に、ほんとに?と思ってしまう。

かくいう私も田舎は好きである。だけど、という言葉はもちろん続く。

皆さんはどう思いますか?