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それはまだ努力とは呼べない

25歳で大学1年生になった人の日常

思考停止のメリットデメリット

大学1,2,3年(前期課程まで)時代の私は,人生が変わったということに加え,
試験にて算数を間違えるのが連発したら落単→退学→退職→無職という最強の環境下に更に,圧倒的パラダイムの変化により常に何やら哲学的な難しいことに思索をめぐらせ,元来の性格からか何か知らないが,結論が「絶望」に至ることが多く,よく「暗い」と思われて(??)ました.

なんだか最近「暗い」と言われることが少なくなってきたので,「いやぁ俺もちったぁまともになったかなー」「いや,やっと元の自分に戻ったのか?」なんて楽観的に喜んだりしていたのですが、実はそれってちょっと違うのかもって思うようになりました.

以前の人生(15~24歳)に比べて「時間」がない大学生活を送ってきた私.
人生初めての,見たこともない概念(シュレーディンガー方程式)や前期量子論のオンパレードということもあり,
過去門よりかは教科書を無限に読みあさっていたせいで,自然と日々脳内に入力→演習や試験で出力ということに追われ,物事を深く考察する習慣が少しばかりできた気になっていた.

しかし,こんな自分は全然たいしたことは無くて,もっとやるやつは「勉強するんだ」「考えるんだ」とうことにエネルギーを使用しておらず(それが当たり前であり,それが受け皿という感覚),あくまで自然体で物事を熟考し,あらゆる観点から物事を咀嚼し吸収していることに気付いた.

今「学外実習」という,強制会社員生活を強いられている私にとって,上述の感覚と比較するとかなりヤバいことに気付く.
規模が小さく,緩い風潮の企業で実習させてもらっているのだが(もちろんその2点で優越を付けるなんてナンセンスな考えではなく,大きくてキツければよいという訳でもない),以前の人生もこんな感じであり,周囲の環境も酷似している.

例えば,
・早く終わらないかな
・あそこのパチンコ屋で5万勝ったわ
・あそこのキャバクラの女がなになにで
・始業時間に1分でも遅れたらいけないのに,タバコを吸う人間は1日5本も6本も外へ吸いにいく

といったようなシチュエーションが多く見られる. 脳死していてもできる仕事であるということだ.

要するに以前の私は思考を停止されていたんです.
この事実に気づいた私はショックを受けました.

思考し続けることが「人間の存在意義」だと思っている私にとって,思考停止≒存在意義の消失になるのです.

あぶねぇよこりゃあぶねぇよ。って思いました。

思考停止ってのは今の社会的にはオッケーなことになってんですね.
バイトとかが手っ取り早い社会科見学というか,小さな社会であり皆さんにも経験があるかと存じますが,時間の経過を無で過ごすというかそんな感覚ありますよね.
むしろ,停止しちゃってるほうが全然生きやすい世の中なんですね.これ,メリット.
思考停止すると楽に生きられるし,割と周りからも認められやすいというか,社会に適応出来る感じ.

でも停止しちゃうってのは私にとっては「存在意義の消失」になってしまうわけで,これ,デメリット.
もうかなりのデメリット.

バランスよくいかんと危険ですね.
たまには色んなことに思いをめぐらせて自問自答を繰り返す時間が必要です.

映画見たり,本読んだり,運動したり,会いたい人に会いにいったり,
たまにはゆっくりしたり,やりたいことは無限にある中で時間って大切ですね.