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それはまだ努力とは呼べない

25歳で大学1年生になった人の日常

3周目のパターン

大学入学前

18歳~24歳の6年間,遊びたい欲求も,仕事もバイトもして好きな音楽や服を買いたいという欲求も強かった.


大体全エネルギーの使用比率は,

 

「10:0 = 仕事&遊び&バイト : 勉強 」
という感じだった.
この生活スタンスの背景には,
「バイトも遊びも知らないで勉強してる奴は面白くないし,人として幅もせまくなる」という思いがあったからだ.今思えば階段の後ろから蹴り飛ばしてやりたいダメ人間である.

 

個人的に「最も勉強し選択肢や知見を広げなければならない」期間に「何もしていなかった」のである.いくら劣悪な環境にいたからといって,自分を律することができなかったことを戒めたい.


しかし,このスタンスで青年時代を送ったことは,社会人学生という特殊な立場になった今,少しだけ正解となった.

「6年間無駄な人生歩んだし,バイトもやったし」
という気持ちがあるから,自然とモチベーションが勉強に向いてくる.他の一般学生がやっている遊びは腐るほど経験してきたのである.(ex:飲み会,夜遊び,クラブ,車,タバコ,...etc) もう3周くらいした.

 

現に今の私は有害であるタバコなんて吸わないし,

飲み会に行くお金もあんまりないし,

翌日6:00に起床して朝練(筋トレ)して読書しなきゃいけないので夜遊びしないし寝たいし.


大学生活を初めて経験している現在,小中高時代と比べものにならない程「自宅学習」している.

実験レポートなどには毎回わりと時間くらいかけているし,平均週無限くらいある課題宿題にはそれぞれ3時間くらいかけている.ゴッドでも理解不能な科目は,時に提出を優先し理解を疎かにすることもあるが,それは後の自分に返ってくる.


最終講義が18時に終わって,家に帰ってから自学5時間ってことは,もうほとんど勉強しかしていない.正直キモイ.

自分にとってこの勉強時間は快挙だ.
かつてこんなにコンスタントに「机」を使った覚えはない.
しかもそれは別に「いい成績」を取りたいからでもなく,「人に評価されたい・自慢したい」からでもなしに,綺麗に言えば「知識欲」が元になっており,汚く言えば「絶対に以前の環境に戻りたくない」からである.("以前の環境(15歳~24歳)"については次回記述予定)

そんな生活をしている最近,「学ぶ」ことの本質がつかめかけている気がする.
「学ぶ」ってのは「教わる」ことではない.
大学の講義は早いし難しいし,課題もレポートもこなすだけで大変だが,それらを完璧にこなしたとしても,それは「教わっている」に過ぎない.
何故ならそれらは全て「与えられたタスク」だから.受身.

そこに「学ぶ」ことの本質など無い.
「学ぶ」ということは「知りたい」という欲求から「自分で問題を設定し,考える」ということ.

「講義が難しいから全然わからんわーダメだこりゃ」
という10~14歳のサナル予備校時代の私のスタンスは,甘かった.

(こんなアホな自分ではあるが,幼少期には塾や習い事を両親に沢山させてもらっていた.このことを考えるたびに目頭は熱くなる)

「講義が難しいから参考書借りて一からやらんと理解できないな」
ってのが今のスタンス.

大抵,学生の理解度が低いへったくそな講義をする教授はテスト問題が毎年同じだったり,課題の採点が甘かったり単位を取りやすくする「悪い妥協」をしているが,はっきり言ってこんなもんはクソだ.

「講義全然わからんけどこれとこれ覚えとけば単位楽勝らしーぜーー」

ってのはまあその気持ちはちょっとはわかるけど,やっぱり嫌ね.
だって,その無意味さ.
そんな理解してないことただ覚えるのに時間使うなら,音楽文学映画絵画という広大な宇宙を味わったり,スポーツで汗を流すほうがよっぽど有意義.


偉そうなことを書いてしまったが,ようやくこんな内容を書いても「自分は棚にあげて」と突っ込まれないだろーと思えるようになった,28歳冬.

この記事を後で消したくならないような生活を送ります.